2016年5月12日木曜日

なぜあなたは Expeditions: Conquistador をプレイすべきか

Expeditions: Conquistador については数年前にプレイした際の率直な感動を某所に文章として投稿した覚えがあるが、翻訳がてらに繰り返しテストプレイをしていても、このゲームの放つ魅力はいまだ色あせてみえない。このいわば一種の新しいムーブメントに追従する動きもこれまでほぼみられず、ゲーム性の面では様々に混沌としながらも表現の面では画一的な流れしかもてずにいる昨今のゲーム業界において、その独特な輝きは増す一方だ。であれば、もう一度その魅力を検討してみてもいいのではないか。
正直にいえばブログの記事執筆に困ったためではあるが、いまだ日本語圏では(でも?)無名なままである現状の一方で、未完成な日本語Modの公開ページに3件ものコメントがついていることもあり(Dropboxはダウンロード数をカウントできないので正確な利用量は不明だが、この無名なゲームの日本語化を求めてこんな場末のブログにまでたどり着き、コメントまで残していかれる方が3人もいたことは正直なところ予想外であった)、あらためて記事にする意義も一応あるのではないか。

Expeditions: Conquistador は2013年5月31日にリリースされた、16世紀スペインによる中米征服を舞台にした歴史モノのストラテジーゲームだ。ゲームとしては(西洋人にとっての)未知の世界の探検・征服に焦点があてられている。プレイヤーはコンキスタドールとして遠征隊を率い、原住民の住まう土地を征服して富を得るため、あるいはその知識欲を満たすため、プレイヤーそれぞれの目的に応じて原住民と折衝しつつ、危険な密林の奥深くへと探検していき未知の地図を埋めていく。
ストラテジーのジャンルの指標としての 4X という概念はご存知だろうか。4X とはつまりストラテジーにおける4つのX、"eXplore, eXpand, eXploit, and eXterminate"の4要素をあらわしているのだが、日本語に訳せば「探検、(領土)拡張、(資源)活用、(敵の)殲滅」といったところだろうか。タイトルにかけた駄洒落というわけでもないのだが、Expeditions においてはゲーム性の面で探検、活用、ナラティブな面で拡張、殲滅、とやや変化球気味ながらこれに対応している。次項からは Expeditions: Conquistador が具体的にどういうゲームであるかという客観的な解説から、なぜ私がこれほどまでにこのゲームを愛しているか、という主観丸出しの話につなげていきたい。

キャラメイキング・遠征隊の編成

プレイヤーはゲーム開始時にキャラメイクと部隊編成をある程度自由に行える。詳しくはこちらの記事を参照していただきたいが、遠征におけるプレイヤーの最終的な目的――といっても、大体は暴力的な征服者か外交的な学者プレイの2択かと思うが――に合わせて意識的な編成を行えるのが、後述のロールプレイングゲームとしての側面ともあわせて面白い点だ。
初心者にはおすすめできない振り方

探検と生存

手付かずの中米という未知にして危険な土地の探検を、マップ上の移動と夜営、食料や薬剤などのリソース活用という形で表現したサバイバル・ストラテジーがこのゲームのメインパートだ。プレイヤー一行は飢えや怪我・病気とたたかいながら未知の土地を探検することになるのだが、これがなかなかバランスよくできていて楽しめる。未知なる土地は広大であり、歩き回ってその地図を埋めていくことそれ自体が 4X の eXplore(探検)として良質の面白みをもっている。
メキシコ編マップ。探検すべき領域は実に広大
上掲の画像はメキシコ編(後編)の開始後少しだけ探索した状態の全体マップであるが、これだけ広大だとやもすれば立ち往生してしまいかねないようにみえる。しかしながら、このゲームでは豊富なイベントやクエストなどでの誘導により、主要なポイントへは自然と誘導されるように作られている。もちろんやりこみ型のプレイヤーであれば、その移動の合い間に地図を片っ端から埋めたくなることだろう(私などはそうである)。そうしたプレイングに対しても、道から外れた場所に思わぬ隠しイベントがあったり、行き止まりに財貨が置かれていたりといった報酬がしっかり待っていることも Expeditions のゲームデザインにおける質の高さの表れといえよう。

この探検行にサバイバル要素としてのリソース管理の問題が絡んでくる。プレイヤーは遠征隊の隊長として財貨、食料、薬剤、装備の出入を管理し、一行が飢えに苦しむような事態を避けねばならない。こうしたリソースは道中のリソースポイントでの採取のほか、原住民との平和な取引か、あるいは小さな村落を略奪することで奪い去ることもできる。食料や薬剤は財貨との交換で安定して入手できるが、より多くの財貨をスペイン本国に持ち帰ることもコンキスタドールとしての使命のひとつであることを意識するならば、無駄遣いはできるだけ控えたいところだ。こうした点で、Expeditions は未知なる地における探検とサバイバルを表現したストラテジーとしての面だけを切り出してもかなり高い評価に値する出来となっている。
毎晩の夜営の管理もプレイヤーの仕事
ただ少々残念な点として、こういったリソース活用系のサバイバルものには往々にしてリソース欠乏時に「誰を切り捨てるか」という(チャレンジングで楽しい)問題が発生するものだが、このゲームでは食料を切らしても士気が下がっていくだけで餓死することはない。もちろん士気が下がりきってしまえば隊に内紛が発生してゲームオーバーに直結する事態になるのだが、餓死することがないことを知っているとどうにも緊張感に欠ける。傷病治療の面では、患者の状態が悪ければ悪いほど使用する薬剤の量と日時経過による状態悪化の確率が上昇するというトリアージの緊張感あふれる設定になっているだけに、食糧管理の設定が甘い点だけはやや惜しい。

飽きがこない戦闘

中南米探検征服の歴史は戦いの歴史でもある。Expeditions ではプレイヤーの意思次第で回避できる戦闘も多いが、それでも避けられない戦いは存在する。ある意味ストラテジーの醍醐味ともいえる戦闘モードは、Expeditions ではヘックス制のマップに投射攻撃に対する遮蔽の概念を付与した2Dタクティカル・ストラテジーとして表現されている。こちらは難しすぎず、簡単すぎることもなく、一度慣れればさくさく進められるが、マップと敵編成が多種多様な点がこのゲームにおける戦闘の特色であり、1シナリオ中数十戦ほどの戦闘を最後まで飽きることなく楽しめるだろう(マップの端まで逃げ回る民間人を一人残らず殺して回る戦闘場面は時間がかかって少々うんざりしたが、それも自分の選択の結果である)。
時には厳しい戦いを強いられることも

ナラティブなヒストリカル・ロールプレイングゲームとしての側面

横文字をずらずら並べてしまってアレだが、要するに Expeditions ではシナリオやイベントが高度に歴史的な文脈にもとづいて書かれているのだ。アメリカ大陸植民の歴史を軽くでも紐解けば、ラス・カサス『インディアスの破壊について』のような具体的な史料を引くまでもなく、そこでは多くの「残虐な(歴史を語る際に用いるにあまり好ましい言葉ではないが)」行為がなされていたことがわかるだろう。Expeditions: Conquistador では、そういったいわば負の歴史を正面から描いている。例えば当時のスペイン人が当たり前のようにもっていた中米原住民(インディオ)に対する露骨な差別感情を、一切の糊塗をせず差別を差別として明確に表現する。口約束として自分に有利な条件で条約を結び、都合が変われば一方的に破棄して裏切ることなどはコンキスタドールの常套手段だ。無防備な村があれば食料の補充がわりに襲い、ついでに貯めこんだ財宝ももっていく勢いで略奪することもできる。また少々ネタバレとなるが指摘しておかねばならない重要な点として、イスパニョーラ編(前編)の中ボス格として征服者(コンキスタドール)のプレイヤー一行を苦しめ、いわば一種の解放者(リベルタドール)として描かれているエステバン・ガリェーゴであっても、やはりその思想は西洋「文明」の及んでいないインディオの社会を無批判に美化するオリエンタリズム的観点にもとづくものであり、現代の普遍的な人権思想とはまったく別種のものである。
略奪は大変な利益になり、「人道」などを考えることがなければ当然の選択となりうる
このように暗い歴史を曖昧に美化することなく、あるいはいわゆる「白人酋長」モノのような侵略者の安易な自己満足にも逃げず、さらにはその歴史にない近現代的な思想をもって登場する謎未来人(これなどゲームの他にもドラマや時代小説などでもよくみられる例でしょう)を一切登場させず、Expeditions: Conquistador は歴史を歴史として正面から描いている。こうした表現のあり方は Paradox Interactive の歴史ゲー(Europe Universalis IV など)にもままみられるものの、それらはあくまでもゲームシステム上の功利的な一面として抽象化した表現に過ぎないものであり、Expeditions のナラティブで直裁的な表現とは一線を画すものだ。この点こそまさに Expeditions の肝であり、私がこれほどまでにこのゲームを推している要素の大きな部分である。先に挙げたゲーム的な特色などよりよほど異彩を放っているのがこの表現技法の部分であり、これについてはどれほど強調しても飽き足らない。
こうした表現はナラティブなイベント文として莫大な英文テキストによって表現されているので、日本語圏のユーザーには魅力が伝わりづらいところがあるとは思う。そこは当方が現在 Expeditions: Conquistador の原文にある魅力を損なわないよう心がけながら、微力ながらも全編完訳に向けて懸命に翻訳作業に取り組んでいるので、このゲームを日本語で遊びたいという方についてはどうか今しばらくのご寛恕を願いたい。

おわりに

最近はおもに海外で「歴史ゲームとは何か」といったテーマで議論が行われることがままあるようだ1。だがたいへん遺憾なことに、そういった場において際立って先鋭なコンテクストとして重視されてしかるべき Expeditions: Conquistador の存在は、どの議論の場でも無視され続けている。ゲーム後進国たる本邦での話であればともかく、海外で、である。
なぜあなたは Expeditions: Conquistador をプレイすべきか? ここまで読んでくださった賢明な読者の方々であればすでに何点もの答えを見出されていることと思うが、最後にもうひとつその理由をつけたそう。それは歴史と歴史ゲームに対する向き合い方という問いに対する答えを第三極の位置から得るため、である。これまでメインストリームの市場と議論の場から冷遇され続けている Expeditions: Conquistador だが、その不幸を嘆く必要はない。なぜならこのゲームをプレイした私たちはその魅力を知っており、彼らにはない知見を得ているのだから。

1: 「研究者の目に歴史ゲームはどのように映っているのか。……」「ゲームの中で歴史を扱うには?……」など。これら記事自体はたいへん良い記事なので、ぜひそちらにも目を通してほしい

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